斃れて後已む

 クリスはもう生きては帰らないだろう。誰もがそう思った。クリスに助け出され、本人に「必ず帰ります」と言葉をかけられた想楽ですらクリスの生存を絶望視した。それ程までの悪状況だったのだ。
 だが、引き上げられたディープのコクピット内の操作パネルやレバーに無数につけられた指や掌の形をした血痕、コクピット内に回すエネルギーを極限まで落とし可能な限り稼働へ回すように変更された設定、床に広がった血の混じった吐瀉物。それらの数々な跡は搭乗者が最後まで諦めずに足掻いたことを表していた。何よりも、コクピット内で意識を失っていたクリスは操縦桿をきつく握りしめており、指を剥がすのに苦労をした程だった。
 助けた想楽にかける気休めの言葉などではなく、クリスは本当に生きて帰るつもりだったのだと痛感する。今、想楽の目の前にあるコクピットは凄惨な事故現場でも絶望が詰まった棺桶でもなく、クリスが生きるために独りで果敢に戦った戦場の跡だった。
「ここにいたのか」
「…雨彦さん」
「古論だがな。意識はまだ戻らないが、容体は安定したそうだ」
 引き上げ可能深度まで戻って来ていたディープを発見したのは雨彦だった。その場所にまで戻って来ていただけでも奇跡的だと言われていたが、発見がもう少し遅ければクリスは本当に死んでしまっていたのだろう。医療の心得はないが、それでもそれ程クリスの状態が逼迫したものであるということは医療班の様子から理解することができた。
「——雨彦さんは、クリスさんが戻って来るって信じてたの?」
「お前さんだって古論の捜索をしてただろう?」
「僕は、クリスさんが死んだなんて信じたくなかったから」
「なら同じじゃないか」
 同じなのだろうか。生きて帰ると信じることと、死んでしまったと認めたくないというのは随分違うような気がする。だからこそ、想楽はクリスを裏切ってしまったような気持ちになっていた。助けて貰った上に、かけられた言葉まで信じることが出来なかったなんて。
「同じさ。少なくとも古論は北村が探しに出ていたと知れば喜ぶだろうよ」
「それは、そうだろうけどー…」
 納得できずにいる想楽に雨彦は続けて声をかける。
「信じられなかったと悔いるなら、次は信じれば良い。俺達にはそれが出来るんだ」
「そう、だね」
 どんなに絶望的であろうが生きるという強い意思をこんなにも見せられた以上、もう二度と、クリスの言葉を信じきれないということはない。それは間違いなかった。
「それに、もう二度とあんな不覚はとらないしねー」
「そうだな」
 そしてもう二度とクリスを——仲間をこんな事態に陥らせないと強く誓う。決意を乗せながら言葉を口にすると、雨彦も薄く笑って同意をしてきた。想楽を庇うこともクリスを助けることも出来ずただ見ているしかなかった雨彦も、自分なりに思うことがあるのだろう。そのことに想楽はやっと思い至る。
「もうクリスさんと雨彦さん以外とチームを組むつもりもないしねー」
「ほう、そりゃあ奇遇だな」
 ようやくいつものように雨彦と言葉を交わしながら、早くクリスの顔が見たいと想楽は思う。当初は寄せ集めのチームだったというのに、いつの間にか三人でいることが当たり前になっていた。きっと雨彦も——そしてクリスも同じなのだろう。
 この場所を失わない為にも強くありたい。初めてそう自覚した日のことだった。