悲しい恋の話をしよう。叶わぬ恋の話だ。
むかしむかし…という訳じゃあないが、あるところに一人の男がいた。掃除屋稼業の傍らアイドルなんてものを始めた男だ。いや、今はアイドルの傍らに掃除屋をしていると言うべきか。ともあれ、そういう男がいたんだ。
男はアイドルとしてユニットを組むことになった。鋭くも優しく言葉を紡ぐ青年と、海を讃える美しい男がそのメンバーだった。
裏方にいることが殆どだった男にとって、その二人と共に歩むアイドルとしての日々は刺激的で光に満ちたものだった。今まで浴びることのなかったような光と、聞くことのなかったような声に囲まれる生活に戸惑いながら、こんな毎日も悪くないと男は思うようになる。
そんな頃かな、男がメンバーの片方を見る目が変わって来たのは。なに、良い意味では青年のことも、もう一人の男のことも見直すことが何度かあったんだが。端的に言っちまえば、男はメンバーの片方である海を愛し海に愛される男に惚れちまったらしい。
らしい、というのも、男自身メンバーである青年に指摘されるまで自覚がなかったからなんだが。
言われてみれば、初めの頃は少し鬱陶しく思っていた――本気で嫌だと思っていた訳じゃない――海の講義も最近は聞くのが苦にならないどころか、嬉しそうな声を聞けるのなら少し長めにでも聞いていて良いと思うようになったし、無邪気な笑顔が見られるなら海絡みの場所へ赴くのも悪くないと思うようになっていた。
男本人としては、人が苦手だと言いながらも人懐こいその男に情が湧いたんだろうという程度の認識だったんだが、確かになるほど情が湧いたというよりは惚れたと言ってしまった方が腑に落ちると納得した訳だ。
情が湧いた程度で海を語る際に浮かべる綺麗な笑顔を他に見せるのが少し勿体ないだなんて、アイドル業と相反することを思う方が納得し難いだろう?
そうして自分の感情を理解した男だったが――、理解したと共に自分が失恋することも理解した。
何せ相手は海の素晴らしさを広める為にアイドルになった、海に魂を囚われているほどの入れ込みようを見せる男だ。男の気持ちに応える隙なんてないだろう。
だから男はこの恋心を抱えたまま秘密にしておくことにしたんだ。ユニットメンバーの青年は知っているが、不必要にそういう他人の気持ちをバラすような奴でもない。信頼のできる奴だ――と、男は思ってる。
捨てることも考えたんだが、男の掃除屋としての経験かこういう感情を捨てるのはなかなかに難しいことをよく理解しちまってたんだな。無理に捨てようとしたところで汚れが酷くなるだけ、だったら捨てられるようになるか失くすかするまで秘めておこうと思った訳さ。
何が悲しいのかって? そうさなぁ。海に愛し愛された想い人の綺麗な笑顔を見ながら、これで幸せなのだと自分に言い聞かせてる男は滑稽で――ほんの少しばかり悲しいと思わないかい?
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悲しい恋の話をしましょう。叶わぬ恋の話です。
とある一人の男性がいました。彼は自分の好きな物の素晴らしさを沢山の人に伝えたいと思っていました。ですが、話術が未熟であったせいかそれとももっと他に理由があったのか、なかなかそれは上手く行かなかったのです。
どうにかして人々に愛する物の素晴らしさを伝えたい。悩む彼の目に入ったのはアイドルでした。アイドルになればきっと、この情熱や素晴らしさ伝えられるに違いない。そう確信して彼はとある芸能事務所の扉を叩きました。
オーディションを経て、彼は自分を含めた三人組のユニットを組みアイドルとしてデビューを果たします。
ユニットの仲間は二人共頼りになる素晴らしい方々でした。的確に事実を指摘し協力をしてくれる聡明な青年と、しっかりと道を指し示し導いてくれる男性。二人と共に日々を過ごして行く中で彼は、二人に対する敬愛と親愛を抱き、更にはアイドルとして進む楽しさと喜びを発見したのです。
ですが、ある時彼はユニットメンバーの男性に対して抱いている気持ちが敬愛と親愛だけではないことに気付きました。もっと声を聞かせて欲しい、もっと此方を見て欲しい、もっと一緒にいて欲しい、…もっと触れて欲しいと願うその気持ちは情愛と呼んで差し支えないものに思えたのです。
男性は彼にとても優しくしてくださいました。彼の話を聞くだけではなく聞いた話を記憶して後の機会に触れてくださったり、本番前などにはしりとりをしようと持ちかけ彼の緊張をほぐしてくださったり、時折彼の好きな生物の折り紙を折ってプレゼントしてくださったりするのです。
彼は男性のその行為が本当に嬉しく、そして同時に少しだけ悲しくも思いました。男性は誰に対しても平等にとても優しい。ですから、その優しさは彼にだけ特別向けられるものではないのです。
男性が誰にも優しいからこそ彼も男性の優しさを受け取ることが出来ているというのに、その優しさを自分にだけ向けてくれたら良いのにと一瞬思ってしまったことを彼は恥じました。
こんな風に思ってしまう自分は優しいあの男性には相応しくない。ですから、彼は自身の恋心を気持ちの底に沈めてしまおうと決めました。
今は嵐のように波立っているこの恋心も、海底に沈む難破船のように沈めてしまえば時が過ぎると共に穏やかになるだろうと、そうすればきっと、ユニットメンバーとして共に歩むことは許していただけるのではないかと考えたのです。
その時初めて、彼はおとぎ話の人魚姫の気持ちが分かった気がしたそうです。
愛する人の幸せを願いながら海の泡となることを選んだ人魚姫は、辛く悲しい気持ちを抱えながらそれでもきっと幸せだったのでしょう。
ただ、彼が人魚姫のように全てを男性の幸せの為に投げ出せるようになるには、もう少し時間が必要なようでした。
ええ、彼はまだ自分の叶わぬ恋心を「悲しい」と思ってしまいますから。
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悲しい恋の話をしよう。叶わぬものだと信じて疑わない恋の話を。
ある事務所から新人アイドルユニットがデビューすることになったんだ。オーディションを勝ち抜いた三人で組むことになったそのユニットは年齢も経歴も違う人間の集まりで、当初は周囲に心配されるくらいバラバラに見えたそうだよ。
けれど、一緒に仕事をして色んな経験を積んで行くことで彼等なりの結束を持つようになったんだ。あくまでも〝彼等なりに〟だから、知らない人が見たら相変わらず心配なくらいバラバラに見えるかも知れないけど。
そんなアイドルユニットの一人が、ユニットメンバーに恋をしていると気付いたのはいつ頃だったかな。
相手を見る視線と対応が他の人に向けるものよりも少しだけ柔らかくて、返ってくる反応を見て浮かべる笑みはいつもより少し嬉しそうで。だから、ああきっと恋をしているんだなと気付いてしまったんだ。
自分の気持ちや感情をはぐらかすことの上手い人だから、そう気付いてしまったという事実に驚いたよ。少し優越感を覚えたのも確かだけれど。ユニットとして一緒にいることが多いからかな。他に気付いている人はいないみたいだった。
好きなんでしょう? と指摘したのは、いつもなかなか腹を見せることをしないその人への意趣返しのようなもので、焦った顔や驚いた顔のひとつくらい見られるかもというくらいの軽い気持ちだったんだ。
けれどその人はその指摘に「そうだな、嫌いじゃない」と返して来た。躱されてしまったのかとも思ったけれど、なんだかおかしい気がする。だから念押しでこう言ったんだ。
「恋愛の意味で、ですよー。好きなんでしょう? クリスさんのこと」
それを聞いたその人はキョトンとした顔をした後(これはこれであまり見慣れない顔だったので、当初の目論見は達成されたのだけれど)、少し考える様子を見せた。
「――そうか、惚れてたのか」
気付いてなかったの。零れ出た言葉に思わずそんなことを言ってしまったけれど、その人は「ああ」と肯定を返して来た。
人のことには聡いクセに自分のことには疎いらしいその人は、指摘を受けてやっと自分の気持ちに気付いて(多分過去のことを思い返して)納得したらしい。
その様子に少し呆気に取られはしたけれど、その時はこれで二人はくっ付くのかなと思ったんだ。思われている方の人も、どうやらその人のことが好きなようだったから。
だというのに、その人は恋心を叶わぬものだと思ってそれ以上何かする気はないらしい。
それどころかもう一人の方も、叶わぬ恋だと思って諦めることにしたらしい。
勿論それは個人の勝手だし、他人がどうこう口を出すようなものじゃない。増して彼等はアイドルで、バレたらスキャンダルになってしまうということを考えたらそれは賢い選択なのかもしれない。
けれど、毎日のように顔を合わせながら、どこか切ない様子でやりとりをされたら見ている方が心苦しくなってしまう。増して、当人同士は気付いていないけれど、お互いに思い合っているのだと察してしまっているのだ。そんな顔をするくらいなら付き合ってしまえ、と思ってしまうのは仕方のないことだと思う。
あいにくというべきか、幸いというべきか。二人の表情や気持ちに気付いているのは一人だけのようで、人任せにしていたらいつまで経ってもこの状況は変わりそうもなかった。
つまり、思い違いをしている二人の背中を押して、すれ違いを解消出来るのは一人しかいないってことだ。
お節介をするようなタイプではないはずなのだけれど、自分の精神の為でもあるので仕方がない。何より、恋愛的な意味でないとはいえ憎からず思っている二人には痛みを堪えたようなものではなく、心から笑っていて欲しいと思うんだ。
(まったく、仕方のない大人達だよねー)
悲しい恋の話はここまでにしよう。
話をするなら笑顔になれる話が良い。
らしくないなと思いつつ、いつかこのことを二人に笑って話す時が来ることを考えて、どうしようかと作戦を練りだした。