熱を帯びている

 冷えた台所に食器が触れ合う音と水の流れる音が響く。
 レトロと言えば聞こえは良いが実際のところただ古いだけの台所は、成人男性の標準身長を軽く超えている男が作業するには些か窮屈そうだった。
 雨彦の家で食事をした後、後片付けくらいはさせて欲しいと言う古論に折れ食器洗いを任せたのが数分前の事だ。
 冷水に触れている手は少し赤くなっているように見える。古論は今日は特に寒いからお湯を使えという雨彦に「魚の生体を触る時は出来るだけ手を冷やしますし、平気です」と返して水を使っていた。この男なりの遠慮だったのかも知れないなと雨彦は思う。本気で魚の生体を触る時と状況を重ねている可能性もあるが。
「終わりました」
「そうか、ご苦労さん」
 作業を横で見ていた雨彦に対して古論が律儀に終了を告げる。部屋で休んでいれば良かったのに、という言葉に、客人に仕事をさせてるのにくつろぐ訳にもいかないだろう、と冗談半分に応えると苦笑が返ってきた。
「手、貸してみな」
 雨彦がそう言うと、古論は不思議そうにではあるが素直に右手を差し出す。犬のようだなと思うが口には出さない。その代わりに、両方だ、と言うと左手も同じように差し出した。
「やっぱり冷えちまってるな」
 古論の両手を自分の両手で包み、少しでも早く体温が戻るようにと手を握る。息を吹きかけてやろうかとも思ったが流石にやめておいた。
 その様子を見てか古論が、ふふ、と笑う。
「どうした?」
「いえ、魚の気持ちが少し分かったような気がしたので」
 魚は人間の体温で火傷してしまうのです。だから生体を手で触る時は極力冷やしてから触るようにするのですが。楽しそうに、そして愛しそうに古論は言う。
「雨彦はとても温かいですね。私も火傷してしまいそうです」
 恥ずかし気もなく飛び出した言葉に雨彦は内心で、やられた、と思う。
「…お前さんが湯を使わないせいだろう」
「そうですね。ですがその分、得をした気がします」
 ニコニコという擬音がつきそうな笑顔を浮かべている古論の手に体温が戻って来たことを確認して手を離す。
「そうかい、そりゃあ良かった」
 だが、と言って古論の頬に手を伸ばし顔を寄せる。疑問符を浮かべた顔がおかしくて、雨彦は少し笑いながら触れるだけの口づけを落とした。
「俺はお前さんが人間で良かったと思うよ」
 でなきゃ迂闊にキスも出来ないしな。そう言うと古論はひどく嬉しそうに笑った。