自覚するということ

 どうしてこうなってしまったのだろう、と考えるが答えは出ない。だがどうしても、出ない答えを求めて延々と考えてしまう。理由など無いのだと認めたく無いだけかも知れない。
 予感はあった。あったが気付かないフリをしていた。
 ふとした瞬間に姿を探していたのは彼が海の素晴らしさを教えたいという動機でもって普段からよく声を掛けて来るからだと、他愛のない遊びに付き合ったりしたのは彼が年齢の割に何処か幼さすら感じさせる無邪気さを持って接して来るからだと、そういう理由で自分を納得させていた。
 納得出来ていたのだ、その時までは。

 それはある日の事務所での出来事だった。
 たまたま出社のタイミングが重なり話をしながら階段を上っていると、残り数段で踊り場に辿り着く所で彼が上階から荷物を抱えて下りてきた事務員の山村とぶつかってしまったのだ。
 山村は踊り場で尻餅をつく程度で済んだが、階段上に居た彼の身体はバランスを崩し落下する他なくなった。更に運の悪い事に、彼の手の届く範囲に身体を支えられるような物は何も無い。
「古論っ!!」
 咄嗟に名前を呼びながら腕を伸ばして彼の身体を掴み、渾身の力で抱き寄せる。もう片方の腕で手摺りを掴んでいたので、共に落下する事もなく堪える事が出来た。体躯の割にはやけに軽い身体だなと思う。
「…ありがとうございます、雨彦」
 安堵の息を漏らしながら助かりましたと彼が告げる。上からは慌てて山村が駆け寄り怪我の心配と謝罪の言葉を掛けていた。
 そこで、気付いてしまったのだ。彼の事を離したくないと思っている自分がいる事に。
 無論その場ではすぐ腕の中から解放し、彼と共に謝罪の嵐を聞き受けた。だが、気付いてしまった事実から目を背けることは出来なかった。

 葛之葉雨彦は古論クリスを愛しく思っているという事実からは。

 触れさえしなければ気付かないで——気付かないフリをしていられただろうに。あんなにも、狂おしい程に彼が愛しく手放し難いと自分が思っているなどと自覚することなど無かっただろうに。
 だが、彼に触れ、思いを自覚してしまった。自覚してしまったものを完全に無かった事にすることなど出来はしない。

 どうしてこうなってしまったのだろう。何度目かも分からぬ自問自答を繰り返す。
 気付かない方が、お互いにとって幸せだっただろうなと思う。少なくとも自分にとってはその方が幸せだった。
 彼に触れたくなかったと思うが、あそこで自分が腕を伸ばし触れてしまわなければ彼は酷い怪我を負っていたかも知れない。そんなのは論外だとも思う。
 これも、運命なのだろうか。諦めて受け入れるしかないのかも知れない。