“それ”を雨彦が見かけたのは偶然だった。切れかけの消耗品があったことを思い出し、馴染みの店ではなく近くにあった百貨店に足を踏み入れたのだ。店先に並ぶ色とりどりのパッケージを見て、もうバレンタインデーが近いのだということを改めて知る。
アイドルという職業柄もありバレンタインデーに絡んだ仕事も多々あるのだが、あらかじめ収録をしておく必要がある場合が多い為、雨彦らが触れるタイミングとしては当日付近よりも数週間から数ヶ月以上前に関わるということの方が多い。故に仕事でよりも、街中のディスプレイや店先に山積みになった商品でイベント当日が近づいて来たことを知るのが常だった。尤も、バレンタインデーなどは当日付近になれば事務所にファンからのプレゼントが大量に届くので、そのうち否が応でも実感することになるのだが。
今までであればバレンタインなどは自分には関係がないイベントだったのだが、アイドルとして315プロダクションに所属してからはファンからプレゼントを貰う他に、日頃の感謝を伝える日として事務所の仲間とプロデューサーへのプレゼントを贈る日となっていた。そろそろ誰かしらから話が持ちかかる頃だろうかと思いつつ並ぶチョコレートのパッケージを横目に、目当ての消耗品を買う為に歩みを進める。
と、赤やピンクを基調とした並びの中に水色の小さい何かが見え、不意に雨彦は足を止めた。白と水色で渦のような模様が描かれたそれは、掌に収まるサイズのチョコレートらしい。棚のラベルには「塩レモン」と書かれている。雨彦自身あまり甘いものを好む訳ではないのだが、そのチョコレートを見てなんとはなしにユニットメンバーのひとりであり愛しい恋人のことを思い出し、ついそのチョコレートを手に取った。
何かと海に関連づけて話をする様子を見てよくもそこまで出来るものだと感嘆したが、自分だって彼とそう変わらないなと苦笑する。要素が見えてしまえばつい好きなものと重ねてしまうのが人の性なのだろう。知識があればあるだけその機会も増える。
サイズの割に安くはないが、高価であるとも言い難い値段のそれを少し考えてから手にしたカートの中に放り込む。幸いと言うべきか、通常の買い物と同じ場所で会計をして構わない商品のようだった。人の少ない時間帯とはいえ、流石にバレンタインデー用に特設されたカウンターで購入するのは気が引ける。そうであったなら棚に戻していただろう。
チョコレートは海での栄養補給に良いのだと言っていたのはいつの頃だったか。あの頃は口を開けば海のことばかりが出て来る男と自分がまさか恋仲になるなどとは思っていなかった。何がどう転ぶかなんて転んでみなければ分からないものだなと思う。
彼に出会う前の自分であれば目に止まることなど無かったであろうそのチョコレートを見ながら、雨彦は本来の目的である消耗品が陳列されている場所へ足を向けた。