子夜の誘い

 雨彦が乗っているロケバスがロケ先の地方で事故に巻き込まれた、らしい。
 らしい、というのは、事故の場所が地方の山間部でただでさえ電波の調子が宜しくない場所の上、電話がその辺りに殺到しているせいで電話連絡が取りづらい状況にあるせいで雨彦と直接連絡が取れない為だ。
 だというのに何故雨彦が事故に巻き込まれたと判明しているのかと言えば、ロケスタッフがどうにか局に連絡を入れ、局から事務所、事務所からプロデューサー、そしてプロデューサーからユニットメンバーへと連絡が入った為だ。すでに夜も遅い時間であることと、伝言ゲームのように伝わって来たせいで、雨彦が今どういう状況にあるのかは分からなくなってしまっていたが。
 現場に居ない以上無事を信じて続報を待つしかないという結論に至ったメッセージグループの画面を表示させたまま、クリスはスマートフォンを握り締める。
 どうか雨彦やスタッフ、それ以外の事故に巻き込まれた人達皆が無事でありますように、と祈ることしか出来ない事が歯痒かった。
 何か情報が入らないかとテレビ番組のチャンネルを変えていると、自分しか居ないはずの部屋に人の気配を感じる。そちらに視線を向けると、今この場所に居る筈のない人間の姿があった。
「あ、め、ひこ…?」
「ああ」
 その人物は困ったように笑いながら、クリスの声に応える。
「何故、ここに…?」
 雨彦が行ったロケ先は遠方だ。事故が無かったとしても、この時間にクリスの家に来れる筈がない程に。なのに、今クリスの目の前には雨彦がいる。それは、つまり。
「お前さんも分かってるんだろう? 俺が死んでしまったって」
 そう言って笑う彼の顔はとても穏やかで優しいものだった。
「そんな…」
 考えられ得る内の最悪の可能性を突き付けられクリスは視線を落とした。信じたくない、けれどそれでは今自分の目の前に雨彦が居る説明がつかない。
「まあ、そうなっちまったのは仕方ない。諦めるさ」
 酷くさっぱりとした様子で彼は言う。自分の死を受け入れてしまっているというより、そもそもそこに関心などないように。
「で、何で俺がここに居るかっていうとだな」
 彼は言葉を切ると、一歩二歩とクリスに近付いて来る。それを見ながらクリスは、幽霊にも足はあるのだななんてどうでも良いことを思う。
「お前さんを迎えに来たんだ。一緒に往ってくれないか」
 その言葉を聞いて、クリスは目を見開いた。
「死んだ事自体には諦めはついてるんだが、お前さんと離れるのは耐え難い。だから一緒に来てくれないか? 何、痛くも苦しくもない。ただ俺の手を取って一緒に来てくれれば良いんだ」
 手を差し出し、目を細めた優しい笑顔で彼はそう囁く。それはまるで愛を告げるような声音だった。
「私は、貴方とは行けません」
 屹然とクリスが口にする。その返答を聞いて、雨彦の顔をした男は一瞬眉を寄せたが、すぐに元の穏やかな表情に戻った。
「…どうしてだい?」
 そしてまた優しく諭すように問うてくる彼に、クリスは真っ直ぐ向き合う。
「私には、まだやらなければならない事があります。だから、貴方と行くことは出来ません」
 それに、とクリスは言葉を続ける。
「貴方は雨彦ではありません」
 きっぱりと告げられた台詞に、雨彦の姿をしたモノは今度ははっきりと顔を顰めた。
「どう見ても本人だろう?」
「確かに見た目は雨彦ですし、話し方も似ています。けれど、雨彦は自分が死んでしまったとしてもきっと、一緒に行こうとは言いません」
「……」
クリスの言葉を聞いたソレが表情を取り繕うのを止め何かを言おうと口を開こうとしたその時、クリスの手の中にあったスマートフォンが着信音を響かせた。クリスは画面を見てすぐに通話ボタンを押す。すぐ近くで舌打ちのような音が聞こえたが、それどころではなかった。
「はい、」
「こんな時間にすまない。事務所にもプロデューサーにも繋がらなかったんでかけさせて貰ったんだが、寝てたかい」
 電話の主は雨彦だ。大変なのは彼の方だというのに此方を気遣うような声音でかけられる言葉に、やはり雨彦は優しいとクリスは思う。
「大丈夫です、起きていました。良かった…、無事だったのですね」
「ああ、事故はあったが俺含めて怪我人はいない」
 やっと電波がまともに繋がる場所に来れたが、場所の割に巻き込まれた人数が多いせいか相変わらず未だ回線が混んでいるようだと雨彦が言う。
「連絡が遅くなってすまない」
「いいえ、無事であるならそれで良いのです」
 ほっと息をつくクリスに、電話口の向こうにいる雨彦も安堵するように小さく笑った気配がする。
 ふと目線を上げると、先程まで居た存在が消え失せていた。あれは自分の幻覚か何かだったのだろうか。
「古論?」
「あ、いえ、何でもありません。プロデューサーさんには私から連絡してみます。想楽にも連絡を入れておきますね。そちらよりこちらからの方が繋がりやすいかも知れませんし、雨彦はかかって来た電話を取る形にした方が良いと思います」
「すまない」
「構いませんよ。では、お気をつけて」
 通話を終えると、クリスは一つ大きく深呼吸をする。室内を見回しても雨彦のようなモノの姿はどこにもなかった。
 アレが一体何だったのかは分からないが、今はそれについて考えるより先にすべきことがある。
 もう一度深呼吸をしてから、クリスはプロデューサーの番号を呼び出した。