滄海を憂う

 素直な人間だと思ってはいたが、まさかあそこまで純粋だとは思わなかった。誤算だったと雨彦は嘆息する。
 怪談話のネタを探しているという猫柳に話を聞かせた流れから、北村と古論にその手の話をしたのが先日のこと。職業柄こういった話には事欠かず、しかしながら今まで披露することも無かった。それを(北村は幽霊そのものの存在には少々懐疑的ではあるようだったが)茶化すこともなく真剣に聞いてくれるものだから、雨彦も少々浮かれた気持ちで披露したのだが。
「まさかすぐさま幽霊を見たと言い出すとはなぁ」
 怪談話を聞いた古論が目を輝かせながら幽霊が出たと報告して来たのが今日のことだった。
 幽霊が出たという話をあんなにも嬉しそうに告げる人間を雨彦は初めて見たが、怪談話をしている時も怖がる訳でなく興味深そうに聞いていたので、その点に関しては納得出来ないこともない。増して現れたのが海洋生物だというのだから古論にはそれは嬉しい出来事だったことだろう。
 本当に幽霊だったのか、夢や幻覚であったのかはその場に居合わせなかった雨彦には判断がつかない。海洋生物の幽霊など見たことも聞いたこともないが、居ないと断じることも出来ない。そういうこともあるのかも知れないと雨彦は思う。世界は狭いようでいて意外と広い。
 問題は、古論がすぐに怪談話の影響を受けたようだということだった。
 そういえば以前、ロボットアニメにまつわる仕事をした際にも古論はロボットに搭乗する夢を見たと言っていたことを雨彦は思い出す。
 昨夜古論が見たものが幽霊であったにしろ夢であったにしろ、古論は酷く純粋で影響を受けやすいということだろう。
 とりあえず昨夜のものは古論に悪い影響をもたらすものでは無かったようだが、これからは古論に話す事柄の内容は少し考えるべきかも知れない。「怪談話をしていると霊が寄って来る」という俗説があるが、あながち間違ってはいないのだ。雨彦自身が掃除屋であり、そういったものを寄せ付けないようには出来るのだが、古論のように影響を受けやすい人間は思わぬところでそれらを引き付けてしまう。話を聞くことによってチャンネルが合ってしまうというのが近いだろうか。
 折角興味を持ってくれたのだが、身の安全を考えると今後怪談話などは控えた方が古論の為だろう。そう判断しながら雨彦は、好奇心を湛えた綺麗な瞳が自分を見つめていたのを思い出し、それをもう見られぬことを惜しむ気持ちに気付かないふりをする。
「これで良し…と」
 最後の仕上げが終わり、考えながらも動かしていた手を止める。出来上がったのは、いつだか古論にプレゼントしたのと似たようなヘアゴムだった。
「さて、問題はコレをどうやって渡すかだが…」
 以前は誕生日プレゼントとしてちょっとしたまじないをかけたヘアゴムを渡したのだが、今回はもっともらしい理由が見つからない。古論の幽霊が出たという報告を聞いて思わず作り始めたのだから当然なのだが、いくら魔除けのまじないをかけても古論本人が持っていないと意味がない。流石に誕生日プレゼントとして贈ったものと似たようなものを平時に渡すのも不自然だろう。
「…着替えの時にでも差し出してみるか」
 人の厚意を無下にするような男ではないだろうと結論付けて、ツナギのポケットにヘアゴムを突っ込みながら雨彦は立ち上がる。
 渡す時のことなど考えもせず、半ば衝動的にお守りを作り出した自分のらしくなさに苦笑が漏れた。