コツコツと聞き覚えのある靴音がする。
想定はしていたが出来ることならば訪れて欲しくない未来がやって来たことを悟り、フリオは細くため息をつく。
やがて靴音はフリオが入っている牢の前で止まり、乱雑な音を立てて入り口が開かれた。影の動きからして蹴り開けたのだろう。鍵を開ける様子はなかった——確かに鍵はかけられていなかった——が、彼はそれを誰かに聞いたのだろうか。
ふわりと漂う鉄の匂いで、もう恐らく生存者はいないのだろうということを理解する。残念なことだ。
「おや、キャプテン。何故こんな場所に?」
来訪者に今気づいたかのような問いを口にしながら、フリオは顔を上げる。逆光になって伺いにくいが、キャプテン——ヒューゴが笑ってはいないことは判断がついた。
「自分の物を取りに来ただけだ」
当然の物言いにフリオは苦笑する。それほど長い時を共に過ごした訳ではないが、この男は初めて会った時から変わらないなと思う。
「規定の日時に戻るのならば、上陸時の行動は概ね自由な筈ですが?」
「欲しいものがあるなら力尽くで奪えば良い」
フリオの問いに返って来たのは直接的な返答ではなく、酷く不機嫌そうな声で発された“海賊らしい”言葉だった。
噛み合っていないように思えるが、この一言でフリオは目の前の男に自分の企てが全て把握されていたのだと理解する。
「——分かりました」
口では素直に応じるが、やめるつもりはなかった。
欲しいものが物理的に存在するならば力尽く奪えば良いかも知れない。だが、フリオが欲していたのはそういった物理的なものに記されていない情報だった。だからこそ、こうして捕虜として潜り込み情報を得ようとしていたのだ。そして、その計画があと一歩で成功するというところでヒューゴがやって来た。もうその情報を持った人間も生きてはいないだろう。
スペイン軍にいる頃から、フリオは自分がどう見られているかを理解していた。軍人であった頃には嫌悪感もあり自分を守る為必要最低限にしか使うことは無かったが、ヒューゴに拾われ海賊として生活をする内にこの武器をもっと有効に利用しても良いと思うようになったのだ。
無論、自分が乗る船が有利になるなら自分への利にもなるという打算もあるが、彼等の為にもなるなら使える武器は惜しまずに使うべきだとフリオは思う。
「…次は無いぞ」
「ええ。分かっています」
今回バレたのは酒の席でチャールズに少し話をしてしまったからだろう。ヒューゴが自分で拾って来たと明言しているので危害を加えようとする者こそいないものの、スペイン人とのハーフであり、何より元スペイン軍人であるフリオに関わって来ようとするクルーは少なかった。チャールズはその少ないクルーの一人で、人懐こさもあってかフリオと打ち解けるのは早かった。それ故に口が軽くなってしまったのがいけなかったのだろう。
チャールズは秘密にすると言っていたが、彼は気分屋なところがある。その時は本心から秘密にするつもりだったのだろうが、ヒューゴにフリオが何をするつもりなのか教えた方が面白いと判断したのだろう。
次は気を付けねばとフリオが考えていると、不意に顎を掴まれる。
「お前は俺のものだ。手下共だろうがお前自身だろうがお前に手を出す奴は許さない」
初めて会った時と同じ言葉を発し、分かっているな?と念を押して来るヒューゴを見てフリオは微笑みを浮かべる。
「分かっていますよ、キャプテン」
だからこそ貴方の役に立ちたいなどという世迷言を抱くようになったのだから。そこまで告げることはせず、フリオはヒューゴの腕を解き、行きましょうとだけ告げる。
ヒューゴが此処に来たのは恐らく己の所有物が彼の流儀に添わぬことをしようとしたからなのだろうが、演技であっても自分が他の者を誘惑することが許せないという嫉妬からであればどれだけ嬉しいことだろうか。そんなことを考えながらフリオはヒューゴが作った赤い海の上を歩いた。