ティーブレイク

 送信ボタンを押し、端末から目を離して背筋を伸ばす。時刻を確認すると、もうじき日付が変わろうかという頃だった。
 特殊部隊の事務室内に他の人間の姿はない。共に報告書を書いていたノイはもう帰したし、夜勤の担当は詰所にいる筈だ。
 それなりの階級になって部下の報告書をチェックすることにもなり、自ら書く報告書自体も増えたが、未だに書類仕事を上手くこなせている自信が理人にはない。その証拠に書類が溜まっていたとはいえ、全てを書き終えるまでにこんなにも時間がかかってしまっている。自分には身体を動かす方が性に合っているのだろう。
 暁もこんな苦労をしていたのだろうか、と思う。少なくとも理人から見て暁は何事もそつなくこなしていたように見えた。追いつくにはまだまだその背中は遠い。
 明日は久し振りの非番とはいえ、仕事を終えたのだからすぐに帰るべきだろう。そう理解はしているのだが、書類仕事が終わった安堵からなのかどうにも腰が重く帰る気になれずにいる。
 ぼんやりと空になったカップ――ノイが差し入れてくれたものだ――を眺めていると、扉をノックする音がした。特殊部隊の人間が詰めているこの部屋の扉はいつ急ぎの事件が飛び込んでも即座に出動できるよう常に開いている筈だし、こんな時間に誰だと思いながら音の方を見やると、暁が苦笑しながら佇んでいた。
「暁さん!?」
 すぐに立ち上がり、暁の元へ近付く。
「何故こんな時間にこんな所へ…」
「私も仕事が立て込んでいてね。片付けてそろそろ帰ろうかと思ったらまだ理人が詰めているようだったから」
 顔を見に立ち寄ったのだと言われ、理人は嬉しいような申し訳ないような恥ずかしいような複雑な気持ちになる。
「立ち話もなんだ、休憩所に行こうか」
「ですが、今まで仕事をなされていてお疲れなのでは…」
「このくらい何でもないさ。ああ、理人も疲れているだろうし無理にとは言わないが」
「いえ!是非お付き合いさせてください」
 食い気味に返事をする理人に、暁は笑みを見せてじゃあ行こうかと促す。バディであった頃から変わらないその態度に理人は安堵のような郷愁のような感情を抱いた。
 深夜の休憩所には誰も居らず、飲み物のサーバーが出す小さな唸るような音だけが響いている。
 暁はサーバーに向き合うと、迷わずにボタンを押した。中身が注がれたカップを取り出し、またすぐにボタンを押す。
「大したものじゃないが奢らせてくれ」
「ありがとうございます」
 バディであった頃も暁はこうして時々理人に飲み物を差し入れてくれた。あの頃は暁と並んで飲み物を飲むことすらあまり出来なくなるだなんて考えもしなかっのに、今や暁と理人を隔てるものはあまりにも多い。
 感傷に浸りながら手渡されたカップを見ると柔らかい薄茶色をした液体が揺れていた。
「コーヒーは苦手だったろう?」
「…飲めない訳ではないです」
 揶揄うような響きのある暁の言葉に、つい拗ねたような言葉を返す。確かにコーヒーはあまり得意ではないが、飲めなくはない。ノイに差し入れられたコーヒーだって飲み干している。…少しばかり、飲む前に意を決する必要はあったが。
 休憩所に備え付けられてる椅子に座りながら理人はカップを傾ける。コーヒーが苦手だと知ってから暁は極力ミルクティーを理人に渡してくる。ミルクティーが無いときはカフェオレであったりすることもあったが、どちらにせよ理人には暁の気遣いが嬉しかった。
「仕事には慣れたか」
「ええ、大分。…御覧の通り、まだまだ手際良く片付けることは出来ませんが」
「それは私も同じだな」
 暁が苦笑する。同じ部署で立場がやや上になっただけの理人よりも、第一線から退き文官として働くようになった暁の方が負担は大きいだろう。
「あまり、無理はされないでくださいね」
「ああ、気を付けよう」
 もう理人には直接暁をサポートすることは出来ない。それが歯がゆく、切なかった。
 それからもぽつりぽつりと言葉を交わすが、特別会話が弾むようなことはない。だがそれでも、居心地が悪い訳ではなかった。
 穏やかで何でもないこの時間がもっと続けば良いのに、と思いながら理人はぬるくなったミルクティーに口をつける。そんな理人の気持ちなど素知らぬ様子で、サーバーは相変わらず唸るような音を立てていた。