父の葬儀を終え、職場に復帰したナハトを迎えたのは同僚達からの苦情めいた報告と、理人が怪我をしたという知らせだった。
取り急ぎ理人が手当てをされている医務室へと向かうが、怪我が完治していない上に使い慣れない松葉杖をついての歩みでは思ったようなスピードは出ない。
「理人」
「暁さん!!」
ナハトがようやく救護室に辿り着くと、処置を受けていた理人が勢い良く立ち上がった。医師が咎める声をあげると、ハッとした様子で椅子代わりにしていた簡易ベッドに腰掛け直す。
「これはまた…派手にやったな」
「面目ありません」
ナハトの言葉に俯く理人の頭にはガーゼが当てられており、白いガーゼは内側からじわりじわりと赤い色が染み出している。医師の様子からして深刻な怪我ではなさそうだが、頭部の怪我は派手な出血を伴うものだ。理人の隊服の肩口から下は恐らく理人自身の血で染まっていた。
動ける人員、増して“最強”に準ずる実力を持つ人間を遊ばせておく程、特殊部隊の仕事は暇ではない。ナハトが戦線を離脱している間、バディである理人は一時的に他の人間とコンビ或いはトリオを組んで出動をしていた。
職場に復帰したナハトがまず行ったのは、理人が出撃した際の報告書の閲覧だった。自分のバディがどうしていたのかが気になるのは当然だろうと誰にでもなく言い訳をして手早く検索したそれらは、ナハトが思っていた以上の量であり、その数を見て苦い気持ちになったのは記憶に新しい。
ナハト以外と組んでいた間、理人の検挙数と検挙スピードは部隊内でトップであった。だが出撃の度にほぼ必ず大なり小なり怪我をしており、監督官や組んだ相手からも再三注意を入れている旨が報告書に記載されている。だが、それらが改善されている兆候はナハトが報告書を確認した限りでは見られなかった。
そして今日も、タイムジャッカーを捕まえはしたが反撃を頭に受けこうして医務室の世話になっている。
処置を施す医師は手を動かしながら理人に忠告もしているが、声音と表情からは半ば諦めていることが伺えた。
「頭に強い衝撃を受けているのだから、暫くベッドで横になっているように。此方の指示に従わなかった場合は出撃停止の申請をするのであしからず」
手当を終えた医師は理人へそう言い残して、管理官に報告に行くと言って部屋を出て行った。すれ違い様に「大人しくさせておいてください」と言っていたので、ナハトがこのまま残っても問題はないだろう。
先程まで医師が座っていた椅子に腰掛けながら、ナハトは理人へベッドに横になるよう促す。理人は僅かに逡巡する様子を見せたが、大人しく横になった。
「すみません。自分の力不足でこんな…」
「理人はよくやっているよ。頭を打っているんだ、今は何も考えずに身体を休めなさい。話はその後でしよう」
穏やかな声音でナハトがそう言うと、理人は一瞬泣きそうに顔を歪めてから、「はい」と小さな声で返す。
苦笑しながらナハトが頬を撫でると、心地が良いのか理人はゆっくりと瞼を閉ざした。その際に呟かれた「すみません」という言葉が聞こえなかったフリをして、そのまま理人を撫で続ける。
暫くすると穏やかな寝息が聞こえて来たので、そこで漸くナハトは理人から手を離した。こうして近くで見てみると、眠る理人の顔には疲労の色が出ているのがよく分かる。肉体的にも精神的にも、ずっと張り詰め続けていたのだろう。ナハトが現れたことで漸く力を抜くことが出来たらしい理人を見て、愛おしさを胸に募らせる。
今の理人はスピードを重視するが故に防御を捨てる形になっているので、自然と怪我が増えている。本来であれば組んだ相手がフォローし防御や援護に回るべきなのだが、”最強”であるナハトに遜色なく着いて来れる理人に追い付ける隊員など最早居ないのだ。それでも理人は止まることをしなかった。補助を期待出来ないまま出撃を繰り返すなど無茶でしかないが、ナハト以外特殊部隊内に理人を止められる人間はいなかったのだろう。
理人が無茶を繰り返していた理由は明白だ。ナハトの父が死んだのも、ナハトが怪我をしたことも、理人は自分の力不足のせいだと——自分にもっと実力があればもっとマシな結果になったのではないかと思っている。ナハトの予想ではあるが、報告書や目の前の理人の様子からして理人がそう考えているのは間違いないだろう。
あの日を後悔するが故に、二度とあの日のようなことを繰り返さない為に、理人はいち早く現場に飛び出して行く。いち早く被疑者を捕らえ、被害者を出さないようにする為に。或いは、理人自身が囮になることで他に被害を出さないようにする為に。
——もう二度と、ナハトが現場に出る事は無いと知れば理人はどうするだろうか。あの時共に居た自分が無力だったせいだと自身を責めるだろうか。少なくとも、今以上に自分を追い詰めることは間違いないだろう。よりスピードを重視して被疑者の前に飛び出して行くようになるかも知れない。
最早既存の隊員では理人を守ることは出来ない。元々ナハトに着いてくることすら出来なかった者達なのだ。スピードだけで言えばナハトすら上回る理人のフォローなど出来る筈も無い。
かと言って、理人は特殊部隊を辞めるつもりはないだろう。例えナハトが現場に立てなくなっても、いやナハトが現場に立てないからこそ、特殊部隊の人間として時空を守る為に現場で戦うことを選ぶ筈だ。理人・ライゼはそんな真っ直ぐな男であるとナハトは知っている。
自分が直接理人のフォローに回ることも出来ず、既存隊員も当てにならないとなれば、新人を付けるしかないとナハトは判断をする。既存隊員が理人について行けないのは実力不足もあるが、今までの任務の手順やタイミングという先入観に縛られていることも大きい。だが、まだ現場を知らないような先入観のない新人を付けて慣らしてしまえば、新人も理人のスピードが普通なのだと思い着いて行くことが出来るようになる筈だ。新人の実力にもよるが、少なくとも既存隊員と組ませるよりはマシになるだろう。
経験値の足りない新人と組ませる不安はあるが、成績の良い新人であればまるで使い物にならないことはないだろうし、バディが新人だとなれば理人も今より相手を気遣うことをするだろう。
正直な話、理人のバディの座を他人に譲るなど業腹ではある。だが、理人を守る為には致し方ないのだと自らに言い聞かせる。
不器用で真っ直ぐな目の前の美しい男が傷付かない未来を歩めるなら、自身の心の痛みなど些細なものだとナハトは思った。