仕事が忙しくなって来たから、という理由は事実であるが便利な言い訳だなと思う。そこに「海に行きやすい」という事情も付随させれば話を聞いた人は皆一様に納得の表情を浮かべた。
嘘はついていないが、実のところは必要であれば海で野宿することもあるので実家からの通いであっても海に行きづらいと思ったことはない。
そんな心情を伏せたまま、既に何人かの同僚にも話したように、都内に部屋を借りてひとり暮らしを始めようと思うのだと告げると、雨彦は「そうか」と口にした。
家族にはもう話を通してあり、良さそうな物件が見つかり契約出来次第引っ越しをするつもりなのだという話をしながら、どうやって雨彦に肝心な話を切り出そうかと考える。一緒に暮らしませんかと言えば雨彦はどんな顔をするだろうか。
実のところ、恋人である雨彦と一緒にいる時間をもっと増やしたいというのが実家を出ようと思った最大の理由なのだが、相談もなしに決めてしまったこともあり、もし断られたらと思うとなかなか言葉が見つからない。
そもそも雨彦はアイドルの仕事の他に家の掃除屋の仕事もしているのだから、自分と違って家を出るメリットは特にないかも知れないのだ。
だからクリスは様々な理由を並べた。仕事が忙しくなって来たからというものに始まり、家族と生活リズムが合わないことがあるから、事務所に近い方が何かと便利だから、海に行きやすいから。雨彦と共に暮らすことが出来なくても、元々ひとり暮らしをするつもりだったのだから、と言い訳が出来るように。
あらかじめ雨彦に話をしてからの方が良かったのだろうが、家を出るということを決めてからでないとどうにも踏ん切りが付けられなかったのだ。
「…お前さんがそうしたいって言うなら、俺に反対する理由はないよ」
雨彦はそう言って微笑んだ。その笑顔を見てクリスの心の中に安堵が広がると同時にほんの一抹の寂しさが生まれる。
やはり、少し先走り過ぎたかも知れない。
しかし今更後悔しても遅いし、言ってしまった言葉は無かったことには出来ない。
「…ありがとうございます」
「だが…ひとつだけ条件がある」
「条件、ですか? 」
雨彦の要望は出来るだけ聞き入れるつもりだが、条件とは一体何だろうと思いながら聞き返す。
「あぁ、そうだ。俺もその部屋に引っ越す…というのは駄目かい?」
まさかの提案に驚き雨彦のことを見詰める。
「嫌か?」
「いいえ、嬉しいです!…ですが、雨彦は家のお仕事もあるのではないですか?」
「仕事なら部屋から通えば良い。今と逆になるようなもんだ」
だから問題はない、と言いながら雨彦はクリスの方へ近寄る。
「それに、恋人と少しでも長く居たいと思うのは俺だけだったかい?」
耳元で甘やかに囁かれた言葉に、鼓動が大きく跳ね上がる。
同じ気持ちであったことに喜びと幸せを感じながら自分も同じ気持ちだと伝えると、雨彦の手が伸びて来て頬に触れた。
そのままゆっくりと上向くように促され視線を上げると、目の前には愛しい人の穏やかな笑みがある。
この人とこれからもずっと共に在りたいと願いながらそっと瞳を閉じた。