誕生日前々日

 明日の夜会えないか、と雨彦からメッセージが来たのは十月九日の夜のことだった。雨彦とクリスは恋仲であり、二人の間で「夜に会えないか」というフレーズは端的に言ってしまえば情事の誘い文句としていつしか定着してしまった言葉だ。
 アイドルという仕事柄もあり、そういった行為が可能な日は限られている。明後日は仕事の予定こそ入っていないが、三人で会う予定になっているので珍しい提案だなとクリスは思う。
 会うことはやぶさかではないが、雨彦の意図が汲めずクリスはメッセージアプリを開き返信をすることが出来ないまま指を彷徨わせる。
 すると、クリスの戸惑いを察したかのようなタイミングで雨彦から着信が入った。
「はい」
「すまない。そういう意味ではなかったんだが…紛らわしかったと思ってな」
「あの、いえ、そんな」
 雨彦の苦笑した声を聞きながらクリスは自分の顔に熱が集まるのを感じる。
「そう出来れば良いが、明後日は三人で会う予定だからな。お前さんに無理はさせないさ」
 自分ばかりが期待してしまったようでクリスが居た堪れない思いになっていたことを知ってか知らずか、雨彦は自分もしたくない訳ではないのだと伝えてくれた。その気持ちと心使いが嬉しくて胸が温かくなる。
「ただ、そうだな…泊まりっていうのは悪くないかも知れないな」
「私は構いませんが、雨彦は明日夜まで仕事ではありませんか? お疲れではないでしょうか」
 恋人に会いたくない筈がない。ただ、それで雨彦に負担を強いるのも嫌だった。
「体力にはそれなりに自信がある。それに…」
「それに?」
 向こう側でふ、と雨彦が笑った気配がする。
「今年は一番最初にお前さんを祝いたいと思ってね」
 その言葉でやっとクリスは雨彦の意図を理解した。
 明後日三人で会うというのもクリスの誕生日を祝う為なのだ。ユニットメンバーとしてだけではなく、恋人としても祝いたいという雨彦のその気持ちを嬉しく思う。
「どうだい?」
「はい、是非…!」
 落ち合う場所と時間はまた追って連絡すると告げる雨彦の声を聞きながら、クリスは幸せな気持ちに浸る。
「ふふ」
「どうした?」
「誕生日当日どころか今から嬉しくて。私は幸せ者だなと」
「今からそうだと明後日は大変なことになっちまうぜ、お前さん」
「ええ、楽しみにしています」
 本当に自分は幸せ者だとクリスは思う。こんなにも愛してくれる人がいるのだから。
「じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
 このまま通話を切るのは名残惜しいが、雨彦は明日も仕事だ。あまり引き止めることは出来ない。
「あ、雨彦」
「なんだい?」
「ありがとうございます。愛しています」
 だからせめて今の自分の気持ちを伝えておこうと思ったのだが、雨彦からの返答が聞こえない。
「雨彦?」
「ああ、いや…、俺も……愛してる。おやすみ古論」
「おやすみなさい」
 通話を終了させ、余韻を味わうようにクリスはしばらくそのまま携帯を見つめる。幸せな夢が見れそうだと思った。