機体との同調率が上がる感覚が苦手だった。同調率が上がればなるほど自分の身体の一部のように機体を扱うことが出来る。だが、自分の身体の境界が曖昧になり、油断すると意識が此処ではないどこかへ引きずり込まれそうになる感覚にはいつまで経っても慣れることが出来ず、酷い違和感を雨彦にもたらした。
搭乗中不意に違和感が薄れ、代わりに今までぼんやりとしていた自分の輪郭がはっきりとしだす。薬の作用が切れ始めたのだ。雨彦の世代のパイロットが薬の服用をして機体に乗り込むのは珍しいことではない。一定の同調率を持ったパイロットの育成方法が確立された下の世代とは異なり、雨彦達の世代は投薬によって同調率を確保していた。
普段であれば歓迎するその状態が訪れ始めたことに雨彦は焦りを感じる。今は戦闘の只中であり、戦闘においては一瞬の反応差が生死を分ける。そんな極限状態で同調率が下がるということは、生存の確率が格段に下がるということだ。
自分だけならまだ良い。だが、雨彦はチームを組んでおり、雨彦が危険に晒されるということはチームが危険に晒されるということでもある。それは非常に避けたいことだった。けれど長引く戦闘で予備の薬も使い尽くし、雨彦と機体の同調率は数値を見るまでもなく下がり続けている。
「雨彦さん、大丈夫ー?」
目に見えて動きが鈍り出したせいだろう。北村が通信で声をかけて来た。
「北村、俺を置いて先に帰還しろ」
「それは出来ない相談かなー」
今なお散発的ではあるが攻撃は続けられているというのに、北村は悩む様子も見せずにそんな言葉を返して来る。
「雨彦さん器用だし、マニュアル操縦でもなんとかなるよねー?」
「厳しいねぇ、お前さん」
「極力援護はするから、」
基地まで帰還しよう、とでも続けられたのであろう北村の言葉は奇襲による攻撃音で雨彦の耳には届かなかった。
相手の位置を確認し、機体を操作し、応戦する。自分の身体であれば速やかに行える一連の動作も、機械の操作となるとパイロットの認識から機体が実際に動作するまでに僅かなラグが生じる。その僅かな時間を狙われ思うように反撃が出来ない。北村は一旦此方の機体から離れ応戦しているが、数で上回れていることもあり明らかに部が悪い。
機体の損傷が一定値を超えたというアラームを聞きながら、どうにか北村だけでも帰還させる策がないかを考え巡らせていると、相手の一機が突然跳ね飛んだ。急なことに相手の攻撃が一旦止む。
「クリスさん!!」
先行していた古論が応援に来たのだ。古論の乗る機体が次々に敵機を攻撃し、的確に機関部を潰して稼働可能な敵機を減らして行く。
その動きはあまりにも素早く、あまりにも的確であった。機体スペックを考えると異常な程に。
「古論!!」
失念していた。雨彦と古論は同世代のパイロットであり、雨彦と同じく古論もまた薬の服用によって同調率を操作して機体に乗り込んでいるのだ。ただし、薬の効用で同調率を上げる雨彦とは異なり、古論は上がりやすい同調率を薬によって一定値で抑えている。そして、雨彦の薬の効果が切れるということは古論の薬の効果も切れるということだ。
機体との同調率は低過ぎると機体の操作に支障をきたすが、高過ぎると機体の能力は存分に発揮出来るもののパイロットの生体機能が失われてしまう。古論の場合は同調率が過剰になるにつれて声を出すことが難しくなり、更には呼吸を忘れてしまう。早く此方に意識を引き戻さなければ、死に繋がる。
「クリスさん!聞こえてる?クリスさん!!」
「古論、応答しろ!古論!」
不利と見たのか撤退して行く敵機を追おうとする古論の機体の進路を塞ぎながら2人で呼びかける。
「——あ、めひこ、そら、…ぶじ、ですか」
掠れた声で通信が入ったのを聞き、ひとまず雨彦は息をついた。
「お前さんのおかげでなんとかな」
「一旦攻撃が収まったみたいだし、この隙に基地に戻ろうかー。雨彦さんの機体の補助は僕がやるけど、クリスさんは大丈夫?」
「はい、…だいじょうぶ、です」
浅い呼吸を繰り返しながら古論が応答する。これ以上の襲撃に遭うことは雨彦の機体状況としても、古論の身体状況としても避けたい。一刻も早く帰還する必要があった。