Springer

 ビショップが敵のルークの足止めをする。ナイトにはその瞬間勝利への活路が見えた。猛々しく相手が前進して来るが、もう彼等の敗戦は決まったようなものだった。
「待て!」
 キングにも同じものが見えたのだろう。動こうとするナイトに静止の声がかかる。
「まだ、他に手があるかも知れん」
「お言葉ですがキング。今を逃せば勝利が遠のく上、貴方の命が危険に晒されます」
 既に戦いは長く続いており、此方にも犠牲者が出ていた。兵達の疲弊も大きくなって来ている。これ以上戦いを長引かせることは避けたかった。
 キングともあろう者がそんなことを理解していない筈はない。彼は勝利の為に動くとなるとナイトが犠牲になることを気にしているのだ。
「私はナイト、貴方はキング。命の重さは等価ではありません」
 おわかりですねとナイトが微笑むと、観念したのかキングは一度きつく目を閉ざしてから、ナイトが動くことに許可を出した。
「ありがとうございます」
 キングが何か言おうと口を開くが、それを聞く前にナイトは動き出した。聞いて揺らぐような決意は持っていないが、それでも心残りを持ちたくなかったから。この身を勝利の為に、キングの為に捧げられるなら、それ以上の幸せは無いのだから。
 戦場を駆け抜ける視界の端に、複雑な表情をしたビショップが映る。彼もまた自分達の勝利への道筋が——ナイトが何を成そうとしているのかを理解しているようだった。或いは、ナイトよりも先に見えていたから此処で敵のルークの足止めをしたのかも知れない。
 いち早く戦況を理解する聡明さも、仲間を気にかける優しさも、その優しさに流されない理性の強さも彼は持ち合わせているのだ。
 彼が居るならキングは大丈夫だとナイトは確信する。
 後を頼むという意図を込めて微笑みを向けると、年若いビショップは視線を外しながらも頷いたようだった。ごめんなさいという言葉は聞こえなかったことにして、ただ走る。

「覚悟!」
 敵陣に乗り込み敵を屠る。
 この一撃で自分達が陥った状況を理解したのか、敵の空気が凍りついた。
「貴様…っ!」
 敵将がこれ以上ない程に殺意の篭った表情でナイトを睨む。自軍に勝利の目がほぼ無くなったことは理解しているだろう。この場に現れたナイトが囮であるということも。
 だがそれでも相手は此方の手に乗るしかない。僅かに残された勝利に繋がる道は、もう他に残されてはいないのだから。例え罠だと理解していても、此方の軍がミスをするという僅かな可能性に縋る以外にない筈だ。
 敵将の重い一撃をナイトは薄いその身で受ける。これで勝利は確約されたも同然だった。後悔はない。心残りもない。ただひとつあるとするなら。
(最後に彼の笑顔を見たのはいつだっただろうか)
 これからは彼が——キングがずっと笑っていられるようになれば良いとナイトは願う。相手に侮られないよう、自軍の兵達を不安にさせないよう、不敵な笑みを浮かべることはある。だが、彼が穏やかに微笑むのを見た最後がいつだったか、もう思い出せない。
 元々あまり諍いを好む人ではないのだ。本当は優しいあの人には、これからはずっと笑顔でいて欲しい。自分がそれを見ることは、もう出来ないけれど。
「———!!」
 薄れる意識の中で、久しく呼ばれることのなかった自分の名が呼ばれた気が、した。