クマのぬいぐるみ

 不意にクリスの歩みが止まる。
「クリスさん、どうしたのー?」
 3人揃って事務所から次の仕事の現場へ徒歩で向かっている途中のことだった。突然立ち止まったクリスを想楽と雨彦が振り返る。
「海の生き物のぬいぐるみでも見つけたー?」
 クリスの視線の先を辿った想楽がそう口にする。2人の視線の先にあるのはゲームセンターだった。だが、想楽が言ったような、クリスが食いつきそうな海に関係しそうなものは見当たらない。
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
「いいのか? 何か気になるものがあったんだろう?」
 2人に追い付きその先へ歩き出したクリスを追うように、雨彦も足を進める。
「ええ、少しだけ…ですが、次の仕事もありますし」
「確かに、今景品を手に入れても荷物になるしねー」
 それもそうだと納得して、3人は目的地であるスタジオへと向かう。その後に仕事があったこともあり、その日はそれきり想楽も雨彦もそのことについては忘れてしまっていた。

***

 オフである翌日、雨彦が昨日と同じ通りを歩いていると、ゲームセンターからクリスが出て来るところに出くわした。
「古論じゃないか。こんなところで会うとはな」
 掃除屋の事務所兼自宅が315プロの事務所に程近い雨彦はともかく、家が遠方にあるクリスがオフの日にこの辺りに居るのは珍しい。おまけにゲームセンターという場所とクリスというのが上手く結びつかなかった。
 クリスに対してあまりゲームに興味があるような印象がないので心底意外に思うが、そういえば昨日ここの店内の何かを気にしていたなと思い出す。
「あ、雨彦…!」
 一方、声をかけられたクリスの顔には驚きと共に焦りの色が見えた。
 抱えていたものを咄嗟に雨彦と反対側へ隠すが、とても隠し切れるサイズの物ではなく、クリスの身体からはみ出て端が見えてしまっている。
「昨日気にしてたのはそれかい?」
「……はい」
 観念した様子でクリスはおずおすとぬいぐるみを正面で抱え直す。幼児ほどもありそうなサイズのそれは、クマのぬいぐるみだった。
 涼しげな色こそしているが、海には一切関係なさそうなソレの何がクリスの琴線に触れたのか雨彦には分からなかったが、こうして目の前で本人が抱えている以上何か気にいるポイントがあったのだろう。何せ昨日見かけて一度は通り過ぎた後、こうしてこのぬいぐるみのみを目的に店へ来ている程なのだ。
 クリスはといえば、恥ずかしさに耐えかねているようで、普段なら真っ直ぐに見つめてくる瞳が伏せられている。
「お前さんが海のもの以外をそんなに気にかけるのは珍しいな」
「そ、れは…その…」
 珍しく言い淀むクリスの様子に首を傾げた。余計なことを聞いてしまっただろうかと思う反面、いつもははっきりとものを言うこの男が言葉を探しているということに不思議な心地になる。
「…似ていると、思ったんです」
 ようやく絞り出された答えだったが、やはり要領を得なかった。
「似てる?」
「はい。…身体の色と瞳の色が、貴方の髪と瞳の色に似ていると、思って……」
 段々と小さくなっていく声で告げられた理由に雨彦は目を丸くする。まさか自分が関係しているとは思わなかったのだ。
「その、すみません…」
 黙ってしまった雨彦の反応を悪い方に受け取ったらしいクリスが哀しげな顔で謝罪を口にする。
「ああ、すまない。別に怒っているわけじゃない」
 ただ驚いただけだと告げると、クリスは安心したように息をつく。だがまだ不安げだ。
「ソイツが俺に似てると思ったから欲しかったってことか?」
「……はい」
 消え入りそうな返事をしたクリスの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
(これはまた、なんというか)
 可愛いことをしてくれるものだと思わず笑ってしまう。
「なあ、古論」
 呼びかけるとクリスは俯き気味だった顔を上げて雨彦を見る。
「これからウチに来ないかい?」
 突然の提案にクリスは困惑した表情を浮かべるが、雨彦は構わず続ける。
「ぬいぐるみじゃあなく、俺を抱きしめてくれないか?」
「えっ」
 雨彦の言葉を理解した途端、クリスの声が裏返った。先程よりも顔を赤くして口をぱくつかせる姿は雨彦にはとても可愛らしく映った。
「嫌かな?」
「まさか!…いえ、その…、はい……」
 雨彦の意図を察したクリスは躊躇いながらも肯定の意を示す。
「決まりだ。行こうぜ」
 雨彦は満足そうに笑って歩き出す。その後ろをついて行くクリスは、先程の自分の発言を思い出したのか、ぬいぐるみを抱える腕の力を強めていた。